2018年5月のコラム <陰陽五行2>
陰陽説と五行説が前漢時代に融合されたと先月のコラムで触れましたが、今月はもう少し陰陽説について説明します。
陰陽を物事のとらえ方から考えると、陰陽互根、陰陽消長(未生流伝書にもよく登場します)、陰陽制約、陰陽転化、陰陽可分の5つに分ける事が出来ます。
そもそも陰陽とは、それぞれが個別に存在するものですが、どちらかの存在がなければ何を生むこともできないことから共存しているもので、さらに1つの物体の中で陰陽の存在を示すものです。例えば、天と地、表と裏、前と後、上と下、左と右などがあります 。
植物においても、葉の裏(陽)と表(陰)、花の芯(陰)と花の額(陽)と考え、体用と向き合う葉の表、花の芯が陰となり太陽の陽と和合し、地と向き合う葉の裏、花の外側が陽と考え地の陰と和合すると考えます。これらもまた一方のみで成り立つものではありません。
昼と夜、光と闇、明と暗などは時間の経過や場所の変化によるもの等ありますが、これらは前に区分された中の陰陽消長に属するもので、やはり一方だけでは成り立たないものです。
このように相応するといえども一方が無ければ存在の意味が無いという考え方に基づくものが陰陽説です。
植物での陰陽を少し述べましたが、いけばなの観点から「陰陽説」の特徴と結びつきでは、「陰陽消長」と「陰陽互根」が重要となります。
陰陽消長の意味は次のとおりです。
陰極まれば陽滅し、陽極まれば陰滅す。(決してゼロにはならず)陰極った時、陽が滅すといえども次の陽が兆す。
この現象を「一陽来復」と称し、未生流ではその一瞬を捉えて特に「芽生えると云えども未だ生ぜず」といいます。この「未だ生ぜず」が未生流の名の由来であるとして大切にしています。
そして陰陽互根の意味は「陽があれば陰があり、陰があれば陽がある」、つまりお互いが存在することで物の存在が成り立つと同時に創り出すと考えるものです。
「陰陽表」を見ると、「陰陽消長」としてとらえられるものに、暗いと明るい、夜と昼、冷と熱などがあげられます。このように一方が盛んになると一方が滅し、一方が滅していくと一方が栄えてくるという状態を図にしたものが「太極図」です。
陰陽互根として捉えられるものが重いと軽い、小さいと大きい、柔らかいと硬い、女性と男性、表と裏、天と地、腹と背、低いと高い、など物質的にまた観念的に存在する物の全てが陰陽に属し、陰陽があるから物が生ずるという考えを特に大切にしていろんなことに反映しています。
数においても、陰陽は活かされます。いけばな界だけではなく一般社会でも生活に密着していた陰陽説に基づいて偶数が陰、奇数が陽と考え、祝事弔辞でも偶数は忌まれます。ただ、陰陽を2ととらえ、二神(伊弉諾尊・伊弉冉尊)夫婦、男女は子孫繁栄、「ものを生ずるの数なれば」として2という数は偶数ですが「和合の数」として特に大切な数とします。
いけばなにおいては「陰陽」は特に和合としていたるところで活用しています。直角二等辺三角形を花形の基本としているのも、直角二等辺三角形が陰陽和合の姿だからです。